皇位の安定継承は、側室が不在でも傍系の宮家で
カバーできるという意見がある。
しかし、楽観的すぎる。皇位の継承と同じように、
宮家の継承も側室に支えられて来た事実がある。それ以前に宮家の創設自体が、側室を前提としていたケースもあった。例えばいわゆる旧宮家の中の、明治天皇の内親王が嫁がれた
“新設”の3宮家。「皇女と結婚するがために宮家を立てられた」
(浅見雅男氏)とされる竹田宮・朝香宮・東久邇宮の各宮家などを
見ると、よく分かる。これらの宮家の場合、どの宮家も、創設当時の当主
(竹田宮恒久〔つねひさ〕王・朝香宮鳩彦〔やすひこ〕王
・東久邇宮稔彦〔なるひこ〕王)も、その妃となられた内親王
(昌子〔まさこ〕内親王・允子〔のぶこ〕内親王・聡子〔としこ〕内親王)も、
皆様、側室のお子様(非嫡出)でいらっしゃった。具体的には以下の通り。
〇昌子内親王→ご生母は明治天皇の側室・園祥子〇允子内親王→同上〇聡子→同上〇竹田宮恒久王→ご生母は北白川宮能久親王の側室・申橋幸子〇朝香宮鳩彦王→ご生母は久邇宮朝彦親王の側室・角田須賀子〇東久邇宮稔彦王→ご生母は朝彦親王の側室・寺尾宇多子
ちなみに、いわゆる旧宮家で今のところ存続可能と見られるのは、
上記の3宮家系の他には久邇・賀陽ご両家のみ
(他は既に断絶又は継嗣がおられない)。ご両家創設の際の当主も、次の通り。
〇久邇宮朝彦親王→ご生母は伏見宮邦家親王の側室・鳥居小路信子〇賀陽宮邦憲王→ご生母は朝彦親王の側室・泉亭静枝子
もし、これらのご生母となられた側室の方々がおられなかったら、
上記の宮家は全て存在しなかったはずだ(つまり、いわゆる旧宮家はゼロに)。それだけ、側室という存在の貢献は大きかった。逆に言えば、
BLOGブログ